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こんにちは!カフェジンタ オーナーの小野仁土です。 前回のブログ記事では糖質制限の有用性を、私の体験や、近親者の体験をもとにお話いたしました。 どうして糖質制限がそれほど有用なのに、国連や政府はそのように指導せず、逆に炭水化物を摂取するように指導しているのでしょうか。 1日の糖質摂取量はスティックシュガー何本分? 健全な食生活の実現のために、政府が発行する「食事バランスガイド」というのがあります。 健康な方々の健康づくりを目的に作られたもので、1日に、「何を」、「どれだけ」食べたらよいかを考える際の参考として、食事の望ましい組み合わせとおおよその量をイラストで示されています。 ご覧の通りのバランスなのですが、主食はご飯中盛りで、4杯程度の摂取が推奨されています。 このバランスで摂取する糖質量をスティックシュガーの本数で表すと、きっと驚かれるのではないかと思います。 その量は なんと 約50本分です! つまり、1日でこれ一袋消費していることになるのです。 普通の日本人は毎日普通にスティックシュガー一袋分を食べているなんて、驚愕ですよね。 それが、いかに体に負担なのかというのは、今日のテーマではないので、また別の機会にお話します。 今日のテーマは人類の食の変遷を歴史的な観点から見ることです。 人はいつの頃からスティックシュガー50本を毎日食するようになったのでしょうか? 豊かな暮らしの源 ウィキペディアに日本列島のヒトの食生活の変遷が分かりやすく書いてありました。 主に旧石器時代から縄文時代を経て、弥生時代までの食事である。旧石器時代には、主に狩猟によりシカ、ゾウ、ノウサギなど野生の動物が食された。約1万年前縄文時代になると人々は採集することが増えた。食事の中心になったのは木の実やイモであり、クリ、クルミ、ドングリ、ヤマイモ、マメといったものである。縄文人のゴミ捨て場は貝塚と呼ばれており、貝や魚介類をふんだんに食べていたことがうかがえる。ハマグリ、アサリ、カキを中心としイワシ、サバ、マグロなどを漁労によって、イノシシ、シカ、クマなどを狩猟によって獲得していた。縄文晩期になると水田で稲作するようになる。 弥生時代に稲作が広まり、ヤマト王権が出現し、次第に日本という国単位が形成されていくことになる。文字が伝来し、奈良時代の日本最古の文献のひとつ『日本書紀』には主食と副食といった食事構成が見られる。日本独自の伝統的な日本料理が形成されていくようになる。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』- 日本列島の狩猟採集時代の食事 縄文時代の終わりころまでは、糖質摂取はかなり少なかっただろうことが伺えます。 まぁ、この程度のことは誰だってご存知のことだと思います。 日本列島のヒトは約1万年前に稲作をするようになり、食が大きく変革してして今にいたっています。 稲作を中心にヒトは食料の確保をどんどん進化させ、それによって人口が爆発的に増加し、平均年齢も大きく伸びました。 稲作から始まった文明化によって、食の安定のみならず、言語、社会、経済というヒトのみがもつ仕組みが生まれ、発展しました。 米や麦なくして今の私たちの豊かな暮らしは実現できなかったことは間違いありません。 日本において稲が神格化されています。 高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり 出典:万葉集-仁徳天皇御製 古き良き日本の風景が目に浮かびます。 私たちが拠り所としている、栄養バランスはアンケートの集計結果だった? 実はカフェジンタでも稲穂を大切に祀らせていただいています。 毎年7月に行われる祇園祭の際に神様がお店の前をお通りになりますので、お神酒料をお供えさせていただき、お神輿会から稲穂を賜っているものです。 ですので、お米のありがたさというのは、重々わかったつもりではおります。...